練習態度は、いたって真面目だけれど、2割しか打てないバッターと、
走り込みのような基礎練習を真面目にやることはないけれど、
センスで3割打てちゃうバッターだったら、どちらを試合で使うか。
プロの世界なら、おそらく、後者の3割打てる方だろう。
過程がどうであれ、結果を残せる人の勝ち、そういう判断になると思う。
しかし、彼がいつまでも自分のセンス頼みで、自分を磨かなければ、
どこかで3割打てなくなる日がくるかもしれない。
せっかく才能があるのに、とてももったいないことだと思う。
もし、その彼が、基礎練習に真面目に取り組んでいったとすれば、
もっといいバッターになれるかもしれない。4割近く打てるかもしれない。
その可能性を埋もれさせてしまうという点でも、やはりもったいない。
とはいえ、他人がどれだけもったいないと思ったところで、
当の本人が、真面目にやるほどの価値をそこに見出せないのなら、
自分のさじ加減で、好きにしていいと思う。
だが、そこにちょっとでも自分の人生だとか、大切な人の想いだとか、
そういうものがかかってくるなら、真面目にやることが、
結果よりも大事なんじゃないかと思う。
受験塾で教えている立場で「結果よりも」と言うのは良くないかもしれない。
だが、第一志望に入ったからといって、
そこからの人生が必ずバラ色になるわけではない。
残念ながら、第一志望に入ったことで歯車が狂ってしまうケースもある。
逆に、夢破れて第二志望、第三志望…に進むことになったけれど、
そこから充実した毎日を過ごして、やりたい仕事に就いている人もいる。
「人間万事塞翁が馬」という言葉もあるけれど、
(中学)受験の結果だけで、人生は決まったりしない。
だけど、一方で、じゃぁその受験当日に向かうまでの態度、取り組む姿勢、
そういったところを真面目にやれない人は、乱暴な言い方をすれば、
そういう人生になっちゃうように思う。
なんだかんだと適当な理由をつけて、ダラダラ過ごすとか、
楽な方に逃げるとか、(後でやると言って)先延ばしにするとか…
そういうのって、もう、(受験)勉強への姿勢に限った話ではなくて、
その人の生き方そのものになっているんじゃないか。
それって、結果よりもはるかに大事(おおごと)だと思う。