学校の学年が上がります。ペースを掴めるまでは焦らずに!

何が大事か

最終学歴が最も大事だという見方があります。
就く仕事によっては、おそらく揺るがない真実なのだと思います。
そのせいで(と言ったら言い過ぎかもしれませんが)、
「私立に通っても、結局、大学は〇〇なの?」
のような言われ方、見られ方をすることも多分にあります。
「△△大学なら、私立なんか行かなくたって良かったんじゃない?」とか、
「地元の公立から、俺(私)は国立大学に入ったぞ!」とか。
こういう話をよく耳にします。

別に、こういう意見を否定する気はありません。
どう思うかは個人の自由ですし、それぞれの人生観は違っていて当然ですから。
ただ、私は、私立中学に通う意味は、
「いい大学に入る(入りやすくする)」ためでは無い、と思っています。

 

無理やりたとえるなら、山頂からの景色を見たいと思ったとして、
山のふもとから歩いて山頂を目指すのか、
途中まで車で行って、そこから歩くのか、
ヘリコプターで山頂に下ろしてもらうのか、
ドローンを飛ばすのか…などなど、様々な方法があると思います。
けれど、どの方法が正解だとか、どれかじゃなきゃ意味が無いとか、
そういうものではないと思います。

歩いて登ろうと思ったけれど、途中で引き返すこともあるかもしれません。
山の中腹で見つけた小川を下って、海に向かう人もいるかもしれません。
それを、途中でやめるくらいなら、やらなければ良かったのに…とか、
次からは航空写真にしたら?とか言う人がいたとしたら、
それは余計なお世話だと思います。

途中で引き返したとしても、その経験は無駄ではないと思います。
登ったところまででの感動や気づきがあるかもしれませんし、
途中で心惹かれるビューポイントを見つける人もいるかもしれません。
引き返す途中で出会った人が、何よりの財産になる可能性もあります。
逆に、ヘリコプターやドローンでしか見えない景色もあるかもしれませんね。
自分の力で歩いて登るという苦労があってこそ
深い感動があると思う人もいるかもしれませんが、
身体的な理由などがあって、それがかなわない人もいるかもしれません。
だから、方法は様々あっていいと思います。

 

私立中に通ったAさんと、公立中に通ったBさんが同じ大学で再会したとして、
(Bさんの方がコスパが良かったのは確かですが…。)
同じ大学に通うなら、私立の中学なんかに通わなくても…というのは、
先ほどの例で言うなら、山頂に立つことだけに価値がある
と言われているように聞こえます。もっと言うなら、
どれだけ高い山に登ったかだけを競い合っているように聞こえます。

 

あくまでも私個人の意見ですが、
到達点よりも、どういう道をたどってきたかに、価値があるのだと思います。
最終到達点が同じだったとしても、通った道が違うから面白いのだと思います。
その道のりが、どんなに遠回りでも、コスパが悪くでも、
それがその人の人生観を形作り、やがて魅力になるのだと思います。

結局、何を言いたいかと言うと、
要領悪くても、不器用でもいいじゃないの!
結果を怖れずに、しゃにむにやろうぜ!ってことです。