中学に入って以降、
「〇〇(科目)の先生、マジで●●(「く」から始まる汚い言葉)!」
「授業下手過ぎて、何言ってるか全然わからない!」
と、こんな言葉を子どもから聞かされることがある。
ある程度、入るのが難しい学校であっても、
残念ながら授業のうまい先生と、そうでない先生がいる。
僕も、中高時代に、クラスの98%が寝ている授業を経験したが、
だいぶ経って予備校に通った時に、受験に出るような授業に関しては、
塾・予備校の先生の方がうまいんだなと思ったことをおぼえている。
つまり、私立の学校に入れば、そこで必ず良い授業が受けられるとか、
偏差値が高い学校に通えば、全てにおいて質の高い授業を受けられるとか、
そういうことが絶対的に保証されるというわけではないのである。
では、一体なぜ、良い授業ばかりだとは言い切れないのに、
毎年のように、大学合格実績を出せるのか。
僕が思うに、それは学校の授業の質が高いからという理由ではない。
すると必ず、「元々の頭が良い」からでしょ?と言う人が出てくるけれど、
これも違うと断言できる。
「元々の頭が良い」人がいないとは言わない。ある程度はいる(と思う)。
だが、ある程度の数では合格者の数には届かない。
要するに、「まぁ比較的できる方かな」くらいの人や、
「自分ができないのを知っているから、せめて真面目にはやりますよ」という人、
「みんながやってるから、やった方がいいかなと思って」レベルの人など、
どこにでもいるようなタイプの人たちまでもが、〇〇大学に合格していくことで、
初めて実績になるような数に届くのだと思う。
良い影響を、知らず知らずのうちに受けた結果なのだと思う。
それは友達からともいえるし、先輩からかもしれない。
先生の可能性もあるかもしれないが、ひょっとしたら後輩かもしれない。
卒業生からかもしれないし、誰かを特定できない空気のようなものかもしれない。
これらをひっくるめて校風と呼ぶのかもしれない。
「元々の頭が良い」人は、今のような状況下でも大きな問題はないかもしれない。
勉強なんてどこでもできるし、むしろ学校の授業なんて簡単すぎて退屈だ…
と思っている人もいるかもしれない。
だけど、そういう人ばかりじゃない。
学校の価値は、良いシステム、良い授業だけにあるわけじゃない。