計算であれば、そろばんという道具がありました。
それがいつしか、電卓になり、携帯電話になり・・・
今では、パソコンやスマホのアプリ、Google検索でも出来てしまいます。
漢字であれば、辞書から電子辞書へ。
そして、電卓同様にスマホが最も身近な道具なのかもしれません。
時代の変化とともに、便利な道具が生み出され、さらにそれを超える物が発明され・・・
今や、AIと呼ばれる人工知能の開発競争が時代をリードしているのは紛れもない事実です。
AIの活躍できる場面は業種を選びません。
今日の天気は?お気に入りの曲をかけて!とつぶやけば、天気を教えてくれるし、音楽も流れます。
美容室を予約しておいて!とお願いすれば、コンシェルジュに頼むかのごとく、日程の交渉から予約まで出来るようになるとか?
知らない言語を習得することなく、海外の人間と会話をすることも出来る翻訳ツールも登場しています。
金融業界では、ロボアドバイザーなどを利用すれば、勝手に自分の思考に合った投資を行ってくれます。
実際、医療現場でも、AIによるがん遺伝子解析、医療・健康情報の解析、手術室や病床マネジメント等が行われ始めているそうです。
ですが、個人的には、紙とペンという発明こそ、世紀の大発明であると思っています。
紙の起源は、1986年に中国甘粛省天水市で発見された「放馬灘紙(ほうばだんし)」とされています。時代で言うと紀元前150年。それ以前からも、古代エジプトでは、paperという英単語の語源にもなったとされるパピルスを使用していたり、西アジアでは羊の皮などを利用していたとも言われています。
電子ペーパーや、タブレット端末で紙と同様のことや、それ以上のことは出来ます。
ですが、紙に取って代わることは出来ていません。
2000年以上もの間、完全に代替する物がない大発明です。
道具における生きる化石、と言ってもいいのではないでしょうか。
紙とAI。
どちらもすごい発明であることは間違いありません。
しかし、紙が普及したことと、AIが普及することでもたらされるメリットには、大きく異なる点があると思います。
膨大な時間が必要なものを一瞬で。
ミスの許されないような正確な処理を、確実に。
AIは、人間が楽に生活を送ることを可能にする魔法のような道具であるかのようです。
人間に勝てる余地はないでしょう。
ですが、AIは創造することが苦手です。
最近は、歌詞をつくったり、デザインをしたりするAIの研究も進んでいるようですが、全く新しいものを生み出すというよりは、すでに存在する情報やデータの組み合わせにすぎないと感じます。
紙が発明されたことで、ヒトは思考を形にする手段を手にしました。
ある種、そのせいで煩わしい作業が増えたのかもしれません。
ですが、自分の思考を整理・保存・発展・伝達させることができるようになりました。
思考の積み重ねは、新たな発見を生み出すことにもつながります。つまり、紙は創造につながるのです。
こんな風に考えると、AIと紙がもたらす果実は、対極的なものなのかもしれません。
AIが当たり前になる世の中では、AIが人間から仕事を奪い、失業者が増えるのでは?という予測もあります。
こうした予測は、実際に現実として起こりうる問題かと思います。
ですが、個人的には、AIと人間による仕事の棲み分けこそが、今後の社会のテーマになってくると思っています。
膨大の情報解析が必要な作業や、複雑な処理などの効率化はAIに任せる。
一方、新しい価値を提供するものや仕組みの創造には、人間本来の力をもって取り組むというような形です。
こうした棲み分けが進んでいくことで、人間には、新たな価値を創造するための深い思考力が求められることでしょう。
実際、その力を養うために、2020年度からは小学校でのプログラミング教育が必修化となるようです。
7/21発売の東洋経済でも、大々的にプログラミング教育を取り扱っています。
中学受験での勉強も、そんな思考力を養うことに大きく寄与するはずです。
紙と鉛筆を使って、試行錯誤することこそ、これからの社会を生き抜く武器になるのかもしれません。