社会科の授業では、生徒たちから突拍子もない質問が飛び出すことがあります。
授業内容からピンと来たことを口走るのでしょうが、
とりわけ、歴史の流れを追って説明しているときの
「素朴な問い」への反応には気を使います。
「今はそんなことより知識として暗記しろ!」などと答えれば、
生徒たちは歴史というものを、
ただ過去に起きた出来事の積み重ね程度のイメージしか持たず、
「俺たちより後に生まれた奴らはもっとたくさんの覚えることが増えるんだよね。」
と悲哀を帯びた優越感に浸るのが落ちでしょう。
まさに「歴史嫌い」の誕生です。
だからといって、ただ生徒の興味に任せて
「トリビア」的に知っていることをしゃべらせ続ければ授業は進まず、
ポイントもずれていくばかりです。
では一体、歴史に対して私たちはどのように考え、
生徒たちに学ばせていくべきなのでしょうか。
「歴史とは現在と過去との尽きることのない対話である」
とはE.H.カーの有名な歴史の定義ですが、
歴史を考える際にはまず、「現在」という視点から過去に遡っていくことが大切です。
先ほどの生徒からの素朴な問いにしましても、
目下の出来事から、過去の歴史的な事実との因果関係を
今に生きる一人の人間として生徒たちに主体的に考えさせるのが
本当の歴史の授業であると私は考えています。
このように過去の出来事に原因を探ることで逆に現実の解決に道が開かれ、
過去と現在の間に相互作用が生じ、さらに新たな未来への指針となります。
論語に「故きを温ねて新しきを知れば、以って師と為るべし」
(過去のことをよく知り、新しい意味を見つけて行動すれば、
一人の師となることができるであろう)とあります。
生徒には「温故知新」という四字熟語でお馴染みですが、
この箴言にも現在と未来の行動の指針を過去に遡るという
歴史本来の意義が含まれているように思われます。
このように言ってみたところで、
現に歴史嫌いの生徒はそう易々とゼロになるものではありません。
「どうして歴史が嫌いなの?」と問い正してみても、
「漢字が多くて覚えるのが嫌で、面白くなくて…」
と際限なく理由を聞く羽目になるのが目に見えています。
では、歴史が嫌いな生徒は何が一体嫌なのでしょうか。
私が出会った生徒達の様子からしか推し量れませんが、
暗記自体が嫌だというよりも、
むしろ目の前にある問題について、いちいち考えるのがどうやら億劫なようです。
「どうでもいいじゃん!」式の発想です。
ですから私の歴史の授業では、
どうしても「今」という現実の話がついつい多くなってしまいます。
中学受験を目指す以上、年表や難解な語句の暗記も当然不可欠です。
問題も相当量こなさなくては、得点は出来ません。
しかし、歴史を学ぶことは即ち
今をより良く生きることに繋がるという思いを生徒全員に伝え、
「生きた」歴史を学ばせることなのだ、
という教師の強い思いが備わってこそ、
本当の歴史の授業だと言えるのではないでしょうか。(自戒もこめて…)