2020年度に大学入試改革が予定されている。
まだ確実なことはわからないが、今伝わってきている構想では、
まずセンター試験が廃止され、
代わりに「高等学校基礎学力テスト(仮)」と「大学入学希望者学力評価テスト(仮)」
という二段階の到達度テストがおこなわれ、
これらを高校在学中に複数回受験できるようにしておいて、
ここで取った一番いい点数を大学に提出するということのようだ。
前者に関しては、中高一貫校に通っていることが有利に働く。
なぜなら中高一貫校は、学習内容の先取りをおこなっているからだ。
進度のはやい学校であれば、
高校一年終了時点で大学入試に必要なカリキュラムがあらかた終わっている。
だから複数回受験できることが、そのまま点数を良くするチャンスの多さに繋がる。
ただ、この先取り学習が必要以上にクローズアップされるのは、
個人的には嬉しくない。
先取り学習自体が中高一貫校に通うメリットではないと思っているからだ。
だが、後者のテストと
その先のテスト(現行制度で言えばセンター試験後の2次試験にあたるテスト)については
『教科の枠組みを超えた「合教科・科目型」などを新たに設けるほか、
記述式も採り入れ、思考力や判断力を評価する。』
『小論文や面接、集団討論(プレゼンテーション・ディベート)などに変わる』
とあるので、これはもう付け焼刃的な詰め込み学習では、対応できない分、
圧倒的に中高一貫校が有利であると思われる。
実際、この発表を受けても、私立を初めとする中高一貫校は、
微調整は必要かもしれないとしつつも、大きく学校の方向性を変える必要はないといい、
改めて何か対応しなくても、今までやってきていたことで対応できると自信を持っている。
一方、見方を変えると、ちょっと怖い話になる。
少子化にともない、大学の経営難が伝えられている。
また、文部科学省は今年の5月に、
全国の国立大学における人文社会科学や教員養成の学部について
「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むように」
との通知素案を示した。
少し乱暴に言えば、大学も一般企業とほぼ同様の扱いで、
グローバル社会で即戦力として働けるような人材を育てなさい。
逆に言えば、社会が求めていない(と思われてしまう)教育には存在価値がない。
すぐに利益の出せる学問しか、国は支援しない。
こういうことだろうか。
しかし、教育とは子どもの可能性を広げるためにあるものであり、
また(以前ブログでも紹介したが)、灘の先生がおっしゃったように、
「すぐ役に立つことは、すぐに役に立たなくなります」であって、
もっというと、将来何の役に立つかわからないようなことが、
あとあとになって大きな花や実をつけることがあるのだと思う。
前置きがとても長くなったが、そういった観点から今回の改革を捉えた時、
将来の日本を牽引するリーダー、
それに必要な教育を受けてきたエリートは少数でいい!という思惑が見える気がする。
リーダーになるべき人間は、教科の枠組みを超えた思考力・判断力を身につけなさい。
しかし、そうでない人間は、スキルを1つでも身につけて世の中の役に立ちなさい。
と、暗に言われているように思うのは考えすぎだろうか。
本来、しっかりした教育が受けられるなら、私立に通わなくてもいいと思う。
ところが、何の疑問も持たずに地元の小学校、中学校と通い続けた子どもが、
大きくなって、さて大学を受けよう!社会に出よう!とした時、
今回の改革が構想通りに進んだとしたら、結構大変なことになるように思う。
もちろん、この改革に合わせて公立も変化はするだろうが、
かといって、いわゆる公立の教育だけを受けてきた生徒に課すには、
掲げている(テストの)レベルが高すぎるのだ。
また、人文系の物の見方、考え方が役に立たないものと軽視され、
実利的なものばかりがもてはやされたとして、
そこで学んだその技能は、就職にはそのまま直結するかもしれないが、
もしそれが、知恵とか考える力といったものが介在しない、
ただの技術でしかなかった場合、いずれ使い捨てられてしまうのではないかと危惧する。
私立や中高一貫校に行かなければいけないとまでは、まだ言えないけれど、
この改革は説明が不十分で、そして本当は説明が不十分なことを自覚していながら
わかりやすく説明する気がなさそうで、なんだか不親切にみえる。
はっきり「勉強はしておきなさい」と言ってくれたら、まだ親切だと思う。
これからますます、ごく一部となるであろう
(古い言葉で言えば)一流大学に入るのは難しくしておいて、
そこに入れない人は、社会の歯車としてすぐに働きなさい。
働けなくなったらすぐに代わりがいるから。
こんなグローバル社会が来るのではないかと思うと、
勉強をさせてもらえる環境にいるなら、勉強はしておきなさいと強く言いたい。