サーパスのような小さい塾は
「先生と生徒との距離が近い分、質問しやすい」
と思われています。
確かに大手塾と比べたら、はるかにたくさんの質問を聞いてあげられます。
サーパスは、お母さんが子どもと一緒に算数の問題と
(悪い意味で)格闘するようなことは望んでおりませんから、
宿題や毎日の課題のようなご自宅でやって欲しいものさえ、
わからなければいくらでも質問していいとお伝えしています。
いえむしろ、本当は自分の力で解けなかったものを、
例えば親御さんの力を借りて解いて、
その結果ただ○がついた宿題を提出されてしまうと、
こちらがその子の本当の力を把握できなくなってしまう危険性もあるので、
質問することを積極的に勧めています。
受験生になった頃には、1人の生徒の質問を
マンツーマンで1時間以上聞くこともあります。
しかし一方で、この質問しやすい環境に甘えてしまうと
「質問さえすればいい」という子が出てきます。
本来、わからないことをわからないと言えたことや、
勇気を持って質問できたことはいいことです。
しかしそこに安住してしまうと、たいして考えずに、
もっと言うと問題文さえキチンと読まずに、
「わからない!」「教えて!」と言い始める子が出てきてしまうのです。
課題をいかに効率よく終わらせるかばかりに終始してしまうのです。
また、「先生に質問してきなさい!」と言われてきた子にとっては、
質問したかどうかの既成事実が最も重要です。
家に帰って「質問してきたの?」と聞かれ「したよ!」と答えれば第一関門突破。
「わかったの?」と聞かれて「(説明を聞いたら)わかったよ。」と答えて第二関門突破。
大体の子はこれで終わりです。
しかし本当は、その後の「自分で解けるかどうか」が一番大事なのです。
質問をして、説明を聞いて、わかった気になっただけでは、たいした力になりません。
教わってわかったことが力にならないたとえとしては、
言葉でどんなに自転車の乗り方を説明したところで、
自転車に乗れるようになるには乗ってみるしかない!
と言えばイメージできるでしょうか。
そしてきっと数日経てば「解き方を忘れた」などとまた言い出します。
算数の先生としては、この算数という教科で「解き方を忘れた」と言われるのは、
悲しいランキングのだいぶ上位です。
算数は「覚える」ものではなく「考える」ものであって欲しいからです。
教える側の立場として、全く教えないことが最善とまでは言いませんが、
何も教えてあげていない中でどうにかこうにか、あぁでもないこぅでもないと
試行錯誤を重ねて解法を導き出せたとしたら、
それが一番頭を使ったことになるのは確かなことのように思います。
そしてそれだけ頭を使ったなら、仮に答えを間違えても、
あるいは解き方がまどろっこしくても、
後から正しい方法を教えた時の吸収力が違ってくるような気がします。
それだけ前向きに考えてきた子の質問を受けた時、
その子が伸びていくのを目の当たりにします。
少し難しい話になりますが、「わからない」ことは素晴らしいことで、
「わからない」ことはチャンスなのです。
それをただ安易に聞いてしまって、それだけにしてしまうと、
もったいないと思います。