内村選手が体操で金メダルを取ってから、さほど時間があくこともなく、
男子平泳ぎ200mの決勝がおこなわれた。
日本からはオリンピック3連覇がかかる北島選手と、若手の立石諒選手が登場。
結果はご存知の通り、立石選手が銅メダルで北島選手が4位となったのだが…。
決勝戦は北島選手が2コース、立石選手が1コースと
隣り合わせの組み合わせだった。
レースは序盤から北島選手が世界記録ペースで引っ張った。
レース後に「それが僕にできる精いっぱいのレースだと思った」と、
あくまでもメダルを取りに行くためのレースプランだったと言っていたし、
メダルに手が届かなかったことは悔しそうではあったのだが、
なんとなくそれとは違ったものを感じたのは僕だけではないと思う。
立石選手は150mまではあまり飛ばさずに
最後の50mでスパートをかける選手なのだが、
すぐ隣のコースで世界記録を超えるようなスピードで引っ張る北島選手を、
立石選手が最後にタッチの差で追い越したのが、
「後は頼んだぞ!」
という北島選手からのバトンタッチだったような気がしたのだ。
随分前から「北島の後継者」の呼び声が高かった立石諒選手。
「何回も水泳をやめようと思ったし、苦しい時もいっぱいあった。
でも、あきらめないでよかった」と言っていた。
立石選手は大学1年の時に北京オリンピック出場を逃した。
それからしばらく練習に身が入らず金髪にピアスで遊び回っていて、
北島選手から叱咤の電話もあったそう。
その立石選手に負けた北島選手は晴れやかな表情で
「諒が取ってくれた。悔いはない」と語った。
北島選手の表情や発せられる言葉はどこか吹っ切れたようで、
テレビにかじりついているこちらの肩に (無駄に) 入った力も
少し楽になった気がしたが、
同時に1つの時代が終わったような寂しさもあって、無性に泣けた。
この感情をどう処理していいかとしばらく宙ぶらりんな状態になっていた僕は、
最終的に為末さんに頼ることになった。
「一流は一流を知る」と言われる。
為末さんの言葉はストンと自分の中に落ちる。
アスリートはみんな、いつ自分が妥協して
いつ自分にうそをついたかを知っている。
結果がいい時は気にならないけれど、追い込まれたり、敗北した時、
どうしてあの時自分は妥協してしまったんだと後悔する。
妥協は人にはうまくごまかせるけど、自分にはごまかせない。
妥協した過去は後々の人生に響いていく。
(中略)
後悔は結果ではなく、過程に依存する。
結果はコントロールできないけれど、
今日どう生きるかは毎日自分の力で選ぶことができる。
悔しい思いはあるだろうけど、北島君が吹っ切れたような顔をできるのは
彼が全力で競技に取り組んできたからじゃないだろうか。
悔いはないと語った北島君の表情に、
戦いきった人だけが持つ充足感と、自分はやりきったんだという自信を、
僕は感じた。