5年生の国語の授業では、先週と今週の2週にわたって「詩」を学習します。
「詩」とは、教科書的な説明では、
「作者の感動を、比喩や体言止めなどの表現技法を駆使して
リズムよく表現する韻文」のことであります。
「詩」の学習では、簡潔に書かれている分、
「みずみずしい」言葉の響きを受け止める「素直さ」と、
描かれている情景を思い浮かべる「想像力」が試されますので、
この単元に対して苦手意識を持つ生徒が毎年少なくありません。
私も例に漏れず、子どものころは詩が大の苦手でした。
今年も当然のことながら、詩に接して苦しむ生徒の表情を見るのかあ…嗚呼!
と覚悟を決めて授業に臨んだのですが、
先週の授業に関しては、心が素直な生徒たちのおかげで、
順調な船出をすることができました。
(授業後半で扱った「四字熟語」で若干「座礁」した生徒もいたかもしれませんが…。)
さて、今週の第2回目の授業では船乗りたちが上手く接岸できるかどうか、
船頭の舵取りが試されます。
そこで、船頭として自らの感受性を再点検する意味も込めて、
以下に詩「めいた」文章を書き綴ってみました。
笑顔
行きつけのコーヒーショップで
いつものようにカウンターに腰かけ
ガラス越しの往来を
いつものようにぼんやり眺めていた。
時計を気にしながら
習慣となっている作業に取りかかる。
なかなか身につかない語学力に
苛立ちながらブツブツと行を追う。
少年老い易く学成り難し
時の経過は容赦なく
五感の機能を低下させ
ついにわたしはメドゥーサの餌食となった…
ようやく呪縛が解かれ
目頭を押さえていた親指を慎重に外す。
カオスの闇に薄光が差し込み
青々としたケヤキが真っ先にその存在を現した。
と、その時であった。
誰かが窓越しにこちらを見ている。
誰?あっ!
曇りガラスの目がその刹那に一変した。
今年中学3年生になる卒業生が
友人と2人で並んでいた。
今日から定期テストのせいか
普段よりも早い帰宅だったようだ。
彼はしばらく立ち止まり
満面の笑みでにっこりこちらを眺めていたが
私と目が合ったのを確認すると
彼は軽く会釈し駅の方へ歩き出した。
小学生の頃の彼は今日の彼ではなかった。
夕暮れ間近の野鳥のような
自信なさげな眼差しを
遠い夜空に向けていた。
そんな彼との久しぶりの邂逅
そんな彼との「笑顔」の対面
良し良し、着実にでかくなっている!
良し良し、確実に歩を進めている!
君よ!いつまでも
柔らかな笑顔をたずさえてほしい。
凛とした心のまなこで
数多の絆を結びつけてほしい。
そう願いつつ私は席を立った。
成長の証を
1つ掌に
ぎゅっと握りしめて。