サーパスが、3、4年生の授業で一番大切にしているのは、
授業(話)を「聞けるようにする」ということです。
先生が話しているときに、そっぽを向いてハナから聞く気がないように見えても、
(他のことを考えていたりして)上の空でも、あるいは何か違う作業をしていても、
だいたいの子どもは、「聞いてた!」と主張しますが、
それは「聞き流していた」だけで、本当の意味での「聞いていた」ではありません。
サーパスが求める「聞く」は、
聞こえてくる話を、受動的に耳に入れている状態のことを指すのではなくて、
能動的に耳を傾けて、その内容を踏まえて自分でも思考していくような、
そういう聞き方です。
また、先生が話している途中でも、
子どもは知っていること(知識)があったり、何か話したいことを思いついたりすると、
それを言いたくなってしまうことが多いですが、人の話を「聞く」ということは、
相手の話を途中で遮って自分が喋りだすことではありません。
言いたいことがあったとしても、相手の話を最後まで聞けるように、
そして、その言いたいことを言いたいがために、
途中から話を全く聞いていなかった!なんてことにならないように。
そういうレベルでの「聞く」を体得してほしいのです。
難しいことを要求していると思います。
大人でもできていない人はいると思います。
でも、これができないままで学力を伸ばすのは、これまた難しいと思います。
一応断っておきますが、話を聞かなくても
(自分は)「勉強できた!」と言う人もたまにいます。
枠に収まらない天才なら、それでいいと思います。
天才は天賦の才ですから、育てようと思っても育てられません。
しかし、話を聞く必要がない天才には、そもそも塾は必要ないかもしれません。
また、これはちょっとした毒ですが、
ある人の「正しい」と思っていることが、その人の「成功体験」に繋がっている場合、
その人にそれ以外の選択肢があったことを提示しても、えてして嫌がられるものです。
自分の人生が否定されているように聞こえる、ということもありますから。
(要は、人の話を聞いて取り入れていたら、もっと成長できていたのでは?
という可能性については、言及しない方がお互いにとってベターであるということです。)
ですから、ここでは「話を聞かなくてもできる」と言う人のことは除外して考えます。