「サーパスという場所が、こんなにも大きな存在になるとは、
小学生当時の自分は想像していなかった。
『中学受験をするための学びの場』が、
(卒塾後に)中学・高校の話をしに行きたい、
大学入学・成人式などの節目で先生に会いに行きたい
と、人生の中で欠かせない場所となった。」
こう語ってくれる卒業生の女の子は、大手塾からの転塾生だった。
転塾してきたのは、5年生も冬に差し掛かろうかというタイミングだったと思う。
だから、サーパスに在籍したのは、ほんの1年ちょっとだったし、
同じ小学校からは、彼女を合わせても、確か3人しか通っていなかったから、
転塾してきたときは、完全アウェイで緊張感マックスだったのかもしれない。
だが、「サーパスの先生と、ここで出会えた友だちがいなければ、
辛い受験生時代を笑顔で乗り越えられはしなかっただろうし、
大学生になった今「あの頃は○○だったね」なんて、
受験期のことを語ることもなかったと思う。」
と語る彼女は、まるで最初からサーパスにいたかのように
サーパスに馴染み、サーパスをうまく活用して勉強を頑張った。
しかし、この彼女、結果として、第一志望の学校に進学しているけれど、
決して順風満帆な受験勉強ではなかった。
不安もあったと思う。ストレスだってあったかもしれない。
本当は、ずっと笑顔でいられたわけでもないのだと思う。
だが、受験勉強が良い記憶として残っているのは、決して大袈裟でなく、
そこに『信頼』と『愛』があったからなのだと思う。
勉強でもなんでも、人生が思うようにいかないときには、
ついつい、とげとげしい気持ちになったり、自暴自棄になったり、
周りにあたってしまったり、ふさぎ込んだりしがちだと思う。
そういう、うまくいかないときってのは、大人でもよくあると思うけれど、
その状況で、先生や友達を信頼、あるいはその人たちに感謝できたんだとすると、
それこそが素晴らしいことだと思う。
結果よりも過程を見ようとするサーパスではあっても、
受験を意識すれば、点数への発破がけをすることもある。
厳しいことを言ったこともあったかもしれない。
それをどう受け取るか、受け止めるか。
自分にとって必要なアドバイスだと頭で分かっていても、
心がそれを受け入れられないことはある。
赤の他人だった(塾の)先生を信じられたということ自体、
彼女に伸びる素養があったことを示しているとも言える。
余談であるが、「お母さんに感謝していること」として、
「サーパスを見つけてきてくれたこと!」と、冗談めかして言う彼女は、
現在アルバイトとしてサーパスで働いてくれている。