手っ取り早く点数を上げるコツはあっても、手っ取り早く学力を上げるコツはない。
範囲の決まったテストなら、暗記で乗り切れるかもしれない。
暗記でどうにかできるなら、一番効率が良いと考える人もいるかもしれない。
だが、次のテストでまた別のことを暗記しなくてはいけなくなって、
前回おぼえたことを忘れていく。おぼえて忘れて、おぼえて忘れて…は、
長い目で見たら、むしろ効率の悪い勉強法である。
手っ取り早いやり方は、言ってみれば、その場しのぎのやり方である。
その場を乗り切ることだけが目的のものなら、それでもいい。
だが、勉強はその場しのぎのためにやるものではない。
今日の勉強が、明日のテストのための勉強だったとしても、
それでも、勉強は、もっと先、未来に繋がっていくものである。
学校で教わる勉強に関して、「こんなの世の中に出てから使わない!役立たない!」
などと言う人がいるが、そんなことを言い出したら、
跳び箱も開脚前転も、逆上がりも50m走も、世の中に出てから使うことはない。
しかし、じゃぁ何のためにやるのか?を考えれば、
基礎体力をつけるためであったり、基本的な身体能力を磨くためであったり…
であることはわかると思う。
すなわち、勉強とは、それが直接的な何かに繋がっていかなくても、
目に見えにくい部分で、基本的な能力を底上げしてくれるものなのだと思う。
基本的な能力が上がれば、(ひと昔よく使われた)「生きる力」も上がる。
また、基本的な能力、別の言い方をするなら、学力の土台ができれば、
テストの点数も取れるようになるだろうし、さらには、
初見の問題や、難しい問題でさえも考えられるようになる。
だから、点数を上げるために、手っ取り早い方法をとるよりも、
「正しい努力」を地道に積み重ねて、学力の土台を築いた方がいい。
しかし、この「正しい努力」というのが、すでに難しい。
一般的に、勉強を得意としない子ほど、「正しい努力」のやり方を勘違いしている。
ただ、机に長く向かうとか、問題をたくさん解くとか、
そういうことを「正しい努力」だと思っていたりする。
サーパスのブログ読者の方なら耳タコであると思うけれど、
例えば、算数において、図も式も書かずに答えだけを出すようなやり方で、
何時間机に向かおうが、問題を何問解こうが、意味がないのだ。
それで、勘違いをしている人には、「正しい努力」のやり方を教えるのだが、
勉強を得意としない子ほど、このアドバイスの通りにはやってくれない。
メンドクサイとか、自分には自分のやり方があるとか、理由をつけて、
あるいは、大した理由もなく、やらないのである。
もしくは、指摘されたそのときは言われた通りにやっても、それを持続させない。
すぐに気を抜いて、元通りになってしまう。