フィクションその1

学校説明会で先生の説明を聞くと「良い学校だなぁ」と感じる学校がある。
大学への進学実績も悪くない。
生徒人数の約半分が、世間的に良いといわれる大学に合格している印象である。
部活も盛んで、勉強だけに特化している風でもない。
説明会で流される動画では、生徒たちの生き生きとした日常を見ることができる。
文化祭や体育祭などの行事に関しても活気があって、
バランスの取れた良い学校のように見える。

だが、これは学校の、わかりやすい『陽』の部分である。
説明会で話されているのは、勉強を頑張れている人、部活との両立のできている人、
ざっくり言えば、進学実績でいっても、学年の真ん中より上の子たちの話である。
学校の、あるいは、そこで働く先生たちの、理想というか、
こういう風に過ごしてほしい!というレールに乗って日々を過ごせる子にとっては、
この学校の環境は、とても良いものだと思う。

 

問題は、このレールにうまく乗れなかった子にとってはどうか?ということである。
(レールに乗れないのは)自己責任と考える人もいるかもしれないが、
中学生、高校生に対して、それはだいぶ酷だと思う。
中学受験で一旦燃え尽きてしまったとか、なんとなくヤル気が起きないとか、
友達との人間関係だとか、親との関係だとか、あるいは怪我だとか失恋だとか、
人それぞれ、何らかの理由で、あるいはすぐに思いつく理由もなく、
レールからちょっと外れて休みたいと思うときはあるんじゃないかと思う。

また、団体行動の苦手な人もいると思う。
みんなで文化祭や体育祭を盛り上げよう!というのもあっていいが、
そういうノリが好きじゃない子もいると思う。
前に出たくない、目立ちたくない、静かに一人でいたい、
そういう子もいると思う。

こういうタイプの子にも、過ごしやすい居場所があるか。
こういうタイプの子にも、先生たちの目や声が届いているか。
一旦、レールから逸れた子が、また戻ってこられるようになっているか。

 

勉強を頑張れている子や、部活や学校行事だったりを楽しんでいる子を見ると、
良い学校だなぁと反射的に思ったりもするけれど、全員がそうではないと思うし、
また、そうであることを求められる空気
(みんなで盛り上がろう!盛り上がらない人は協力的ではない!といった空気)
があるとしたら、それはそれでしんどい。

事前の説明会において、『陽』の面を強調しているのを聞いたのだから、
タイプの違う人は、この学校を受けなければいいと考える人もいるだろう。
だが、小学校では「頭がいい」とか「リーダーシップがある」と思われていた子が、
私学に通ってからは、周りのレベルに圧倒されて、すっかりおとなしくなる
なんてこともよくある話だ(もちろん逆も然り)。

だから、この学校は、特定の子にとってはとても良い学校であるが、
どんなタイプの子にも居場所があって、先生が子どもを選り好みしたりはしない
という学校ではないのだ。