さて、私と元同僚の先生は、働く場所こそ違えど、今も先生をやっている。
だが、今に至るまで歩んできた道は、まるで違う。
営業職、家庭教師と経験し、紆余曲折あって自分たちで塾を開校した者と、
1つのことをずっとやり続け、やり通してきた者と、
全然違う道を通って、先生という同じ仕事に就いている。
どちらが正しいかとか、どちらの方が素晴らしいかとか、
そんなことを論じるつもりはない。
むしろ私は、1つのことをやり続けているその先生のことを尊敬しているし、
その先生の生き方や考え方を素敵だと思っている。
だけど、自分の性格や価値観、考え方や生き方からして、
もう一度、あのとき(転職したタイミング)に戻れるとしても、
やっぱり私は紆余曲折の人生を選択するんだろうと思う。
それが正解、100点なのかどうかなんて、自分もわからないし、
まぁ他人から採点されたら、いいとこ65点くらいなのかもしれないけれど、
でも、その紆余曲折の人生を歩んできたからこそ、今の私がいる。
違う道を選んでいたら、そのとき経験することも出会う人も違うわけだから、
当然、今の私とは違う私になっていたはずだ。
それで、私は、このことがとても面白いと思っている。
一人の人間の感じ方や考え方、つまるところの人格形成には、
もちろん、家庭環境や、生まれ育った場所…などの影響も大きいのだけれど、
こういうものは、自分(の裁量)でどうにかできるものではない。
生まれた時点で決まってしまっている。
それに対して、自分の進む道を、自分の気持ちや考えをもとに選択できる、
そういう場面に立ったときに、どの道を選択したかで、
その人の、人となりが多少なりとも変化するかもしれないと思うと、
良いとか悪いとかではなくて、ただ単純に「面白い」と感じるのだ。
勤めていた塾を辞めたことで、出会えなかった人もいるはずだけれど、
その逆で出会えた人もいる。
あのとき、転職していなければ、今、私はサーパスにはいないだろうし、
もしかするとサーパス自体ができていなかったかもしれない。
出会いが偶然なのか必然なのかわからないが、ご縁は不思議だと思う。
「公立からでも大学にいける」「中学からわざわざ私立に行く必要はない」
というような意見を頂戴することがある。
中学受験の是々非々、中学受験と高校受験のどちらがいいか、
子どもは遊ばせるべきか勉強させるべきか…
こんなことで言い争っているのを目に(耳に)することもある。
学歴は必要かどうか、これも永遠のテーマかもしれない。
ここまでの話を読んでいただいた方には、
私の気持ちをおわかりいただけるのではないだろうか。