ラーメン屋の店員

①「この前ね、カセセンとチェーホフ先生とラーメン食べに行ったんだよ。」
②「カセセンは、チャーシュー麺の麺固めで、ホウレン草トッピング。
チェーホフ先生は、ラーメンの油少な目。僕は、味玉ラーメンネギ抜きの麺固め。」
③「ラーメン屋の店員さんってさ、お客さんが何人来ようが、
注文したものを間違えなくてすごいよね。」
④「何で間違えないんだろう?」
⑤「まず注文票に書いて、厨房に伝えて、その後復唱して、
たまに注文票を確認して…ってやって、おぼえてるからかな?」
と、こんな話をしようとしたとする。

話を⑤か、せめて③か④まで聞いてくれれば、
ラーメンを食べに行った話をしたかったわけではなくて、
暗記方法についての話をしたかったのかなと、
意図を汲み取ってくれる人の割合が増えると思う。

しかし、この話はこんなにスムーズにはおそらく進まない。
話の腰をきっと折られ続ける。まず①の話の後に、
「いつ?」「どこ(のラーメン屋)?」「〇〇先生は行かなかったの?」
と、意図したこととは全く違うところに気が向いてしまう。
そして②の話の後には、「え?チェーホフ先生、大盛りじゃないの?」
というように、話の途中途中で、気になってしまったことを、
お笑い芸人のボケのように挟み続ける。

もし、これらの質問に答え続けてしまったら、
結論にたどり着くまでに、ものすごく時間がかかり、肝心の結論に到達した時には、
もはやどうでもいい情報で頭の中がいっぱいになっている。
結局何を言いたかったのかわからぬまま、ただのラーメンの話で終わってしまう。

 

と、無理やりたとえ話をしてみたが、何を言いたいかというと、
子どもの質問・疑問(『なぜ?』)を、無条件に良しにはできないということである。
さらにこれは、こういった質問を実際にしたかどうかが問題なのではない。
話の本筋と関係ないことで頭がいっぱいで、必要な情報が入らなかったのなら、
こちらの言いたいことが伝わらなかったという点で同じことになる。

何の話をしようとしているのだろう?どういう意図の話なのだろう?と、
そういう意識を持ちながら、話を最後まで聞くことが、重要である。