その昔、家庭教師を頼まれて、初めて顔合わせをした日に、
(どうやら私の前に教わっていた先生がいたようで)
「前の先生は、『解けなくていい』って、難しい問題を教えてくれなかったんです。
本当は、先生が解けなかったんじゃないかしら?」
と、お母様に言われたことがあった。
その、「前の先生」のことを僕は存じ上げないが、
その子のその時の実力や、問題の質、あるいは志望する学校の問題傾向によって、
『解けなくていい』問題だと判断しただけなのだと思う。
もちろん、その問題をやっておかないと、塾のクラスが下がってしまうような、
切羽詰まった場合もあるだろう。また、お母さんからすれば、
わざわざお金を払って雇った先生に『解けなくていい』などと言われたら、
それじゃぁ、何のために雇ったのかという気持ちになるだろう。
「四の五の言わずに、質問に答えなさいよ!」
「先生が答えてくれなかったら、その問題どうしたらいいのよ!」
と、心の中で憤っているかもしれない。
しかし、解き方を教えたところで、それを理解して、
解けるようになるかどうかは別である。
どうせ解けるようにならない問題なら、いっそ捨ててしまった方がいい!
と、こういう判断をすることがあるのだが、こんなことを言うと、
やってみたら理解できるかもしれないし、
難しかったとしても、解けるようになるまで何回も復習させる!
(先生の判断なんて聞いてない!)
と、こう考えるお母さんもいらっしゃるのではなかろうか。
ただ、20kgのバーベルしか持ち上げられない人に、50kgのバーベルを持たせれば、
怪我をする可能性が高いことは、誰でも容易に想像できるだろうが、
レベルに合っていない問題をやらせると、
その子の積み上げてきたものが、そこで崩れてしまう可能性については、
あまり理解してもらえない。
また、わかるかどうかはどうでもよくて、一度説明してくれさえすればいい。
と、考えるお母さんはいないと思うが、同じように、
指導する側も、その子を伸ばしたい!受からせたい!
と思えば思うほど、説明するからには、
理解できるように、次から解けるように!と思って質問に答える。
質問に答えてみせたというような、パフォーマンスだけの指導をしない。
しかし、その問題のレベルがその子に合っていなかった場合、
それには結構な、ひょっとしたら膨大な時間と手間がかかる。
決して面倒くさがって手間を惜しんでいるわけではない。
その一問を解くために、アイテム(知識・考え方)が複数必要な場合、
いきなり問題の解説に入れないこともあって、
その場合は、そのアイテムを一つ一つ紹介したり確認したり、
時には類似問題を作成したりと、準備が必要なのである。
その子のレベルが、問題のレベルにまだ達していない場合、
この準備の時点で頭の中が飽和状態になることがある。
結果、ただ説明しただけになってしまって、その子の頭には何も残らない。
また、最悪な場合、今説明したことが入らないどころか、
混乱させてしまうことだってありえる。
それまでできていた他の問題まで、できなくなるようなことが起きる。
こういったことが怖いのだ。
補足だが、質問に丁寧に答えて、
「へぇ!」「すごい!」「わかった!」と思わせるだけならさほど難しくない。
それだけで解けるようにならないから、
必要な問題とそうでない問題の判断をするのだ。