宿題について考える④

宿題は、丁寧にやろうとか、それをやることで力をつけようとか、
そういうモチベーションが無い状態で取り組んだ場合、
効果があるか、逆効果になるかが紙一重である。そして、もう1つ。
モチベーションがあっても、取り組み方を間違えると、悲劇である。

 

わかりやすい例で言えば、漢字を間違えて(何十回と)練習したら、
間違った漢字でおぼえてしまう。その場合は、また、
正しい漢字をおぼえ直さないといけないわけであるが、
それまでの勉強が無駄だったとわかったとき、
そこで前向きにやり直すのは難しいように思う。
また、へたに回数をこなしてしまったことで、
やり直した後も、間違えた漢字の方が記憶に定着してしまうかもしれない。

すなわち、正しいやりかたで取り組まないと、効率が悪いだけでなく、
勉強自体を(もっと)嫌いになるとか、悪いクセがつくとか、
勉強することが逆効果になってしまうのである。

 

漢字以外の例でいうと、
中一、中二の最初の数学のテストでは、計算問題ばかり大量に出題される。
さすがに、テストに向けて勉強もしていくだろうし、
そもそも、ただの計算問題くらい…と思うかもしれないが、
ここで思ったような(努力量に見合うような)点数を取れない子は多い。

たかが計算であるが、その計算をどのように解いたかがとても大事で、
自己流で解いたとか、ダラダラ解いたとか、答えを見ながら解いたとか、
そういうやり方では、計算を速く正確に解けるようにはならない。
自分で丸付けした後、間違っていた問題を解き直したらできた
などというやり方でも、本当は全然なっていない。
初めて見る問題を1回目に間違えているのだから、
その実力のままなら、(初見の)テストでも間違える可能性が高い。

 

勉強には、もちろん、量も必要であるが、
そこには、正しいやり方で集中して取り組むという暗黙の了解がある。
しかし、量があまりに多すぎると、比較的真面目な子であっても
いや、真面目であるがゆえに、宿題を全て終わらせようとして、
間違った勉強をしてしまうことがありえる。
すなわち、できるようになるための勉強ではなくて、
(集中力が落ちて勉強が惰性になっているのに机に向かい続けるから)
いつしか終わらせるための勉強になってしまうのだ。

真面目な子ほど、宿題が逆効果になり得る
ということを了解していただけただろうか。