同級生

僕もかつて中学受験をした。そのとき進学した中学校に、
当時の業界最大手の1つだった(中学受験)塾で、
常に全国1位を取り続けていた子がいた。
隣のクラスだったが、どんな顔か一目見てやろう!と思って、
そのクラスまで見に行ったが、見た目はいたって普通の子だった。

その瞬間、全国1位と肩を並べられたような気がしたが、
後々、それが大きな勘違いであることに気づいた。
穴があったら入りたいというよりも、
穴を自分で掘ってでも隠れたいような恥ずかしさである。

その後の定期テストの点数で差をつけられたとか、
そういうちっぽけな次元の話ではない。
なんなら、中1のテストの成績だけでいったら、
もしかしたら自分の方が勝っていたかもしれないが、
当時、もしそんなことを鼻にかけていたら、
それこそ、ますます恥ずかしくて、今ごろ僕は穴の中で生活していたかもしれない。

 

同じ中学に通っている人は全員、同じレベルに見えるかもしれない。
しかし、テストの点数や、模試の順位、偏差値…
そんなものはくだらないと思えるほどの、圧倒的な差。
敗北感というより絶望感に近かったかもしれない。
興味関心の幅、思慮の深さ、行動力…
あるいは、やると決めたことへの執着力、集中力、負けん気…
もう、何もかもが全然違った。

 

彼のことを天才と呼ぶかどうかはさておき、
少なくとも、自分が平々凡々な人間であることは、十分に思い知らされた。
初めは、なかなかのショックであったが、
そのうち、身近にそういう存在がいることをありがたく思えるようになった。
まぁ、打ちのめされる感覚に近かったから、
いい意味でも悪い意味でも、張り合おうなどという気は起きなかったのだが。

 

それで、何を言いたいかというと、
上には上がいるとか、井の中の蛙になるなとか、そういうことではない。
好奇心って大事だなって。
感動する心って大事だなって。

ついつい「へぇ~」で流してしまうようなことを、
「面白い!」と思える感覚がなかったら、彼は彼のようになっていなかったと思う。
言葉にしてしまうと、何か違う感じがしてつまらなくなるけれど、
「面白い」「なんで?」「調べてみよう」「やってみたい」「行ってみる」
をずっと繰り返してきたんだろう。

そして、きっと今も。