補足

ここ2回のブログにおいて、サーパスの国語の宿題は、
『音読』をしてくることであって、問題を解いてくることではない、
と、強調してきた。
間違ったことは言っていないという自負があるので、
郷に入っては郷に従えとまでは言わないが、
盲目的に信じていただいても、決して損はさせない!と言い切れる。

だが、それでもどうしても腑に落ちないという人のために、
少しだけ付け加えようと思う。

 

まず、断っておかないといけないことがある。
サーパスではお通いいただく3年間、一度も
問題を解いてくるという宿題が出ない!というわけではない。
特に、高学年の最上位クラスにおいては、毎回、問題を解く宿題が課される。
だから、「なんだよ!結局問題解くんじゃん!」と思われるかもしれない。

だが、この課題は、ある程度の国語力が備わっていて、
かつ、問題を解く時に守って欲しい『指示』を疎かにしない意識があって、
さらに、できれば、この課題を自宅でやれるだけの余力
(算数や社会理科の勉強に追われていると、国語に時間をまわせない)がある子
を主に対象としている。

つまり、裏を返せば、問題文を読む力が足りていなくて、
『指示』なんぞ守る気も無く、やっつけで宿題をやるような子、
あるいは、算数や社会理科の勉強でいっぱいいっぱいの子には、
その宿題を課す気がないということである。

音読もしていない、わからない言葉を辞書で調べてもいない、
本文の大事だと思われる箇所に線も引いていない、
選択肢も消去法で選ばずにノリと雰囲気(勘)で解いている、
記述問題などはそもそも解く気も無く白紙のまま…
こういった取り組みでは、力がつくわけがなく、ただただ時間の無駄である。

 

しかし、子どもが国語のテキストを開いて、問題に向かっていると、
実のところは、中身の伴わないやっつけ作業であっても、
親から見たら勉強しているように見えるかもしれない。
勉強している風=アリバイの完成である。

サーパスは、こういうアリバイ作りのような、無意味な勉強をさせたくない。
机に向かっている時間だけが長く、頭を使っていない、
それでいて、むしろ疲れの溜まる勉強は悪だと思っている。
だから音読は、親子の会話のタネになるような、楽しいものであって欲しい(笑)。
なかなか楽しいものにならないことも知ってはいるが、それでも、
国語力は会話の中で育つものであり、家庭の中で育つものでもある。

塾の授業は、高学年でもせいぜい週に1回、3時間。
それだけで国語力を伸ばすのは難しい。
本文もロクに読まずに、そして意味調べもしないで、授業に参加されると、
本当にゼロからの解説が必要になってしまう。とても時間が足りない。

要は、どうしても問題を解きたい(解かせたい)なら、
その前段階の準備を、きちんとしてからやって欲しいという、
そういうことである。