ご無沙汰しております。

勉強とは、問題を解くことだ。
勉強とは、教科書に書かれた重要語句を暗記することだ。
塾とは、テストに出ることをわかりやすく教えてくれるところだ。
と、こういう風にのみ考えている人は、残念ながらあまり伸びていかない。

問題を解くことも、重要語句を暗記することも、
それぞれ勉強の1つだが、勉強の1つでしかないし、
テストに出ることをわかりやすく教えるのも、
もちろん塾の1つの役割だが、これもやはり塾の役割の1つでしかない。

 

例えば、今日の授業のカリキュラムが「縄文時代」だったとしても、
社会の授業なら、その日(その週)のニュースに触れるのは自然な流れである。
では、そこで触れたニュースを、カリキュラムテストに出題するかと言えば、
テスト範囲に入れることはない。その時に、
「テスト範囲ではない」=「聞く必要がない」と判断する子と、
「テスト範囲かどうか」は関係なく「興味を持つ」子とでは、
学力を超えたもっと大きな意味での、広がりや深さに違いが出る。
何気ない雑談さえを面白がれるかどうかが、ゆくゆく大きな差になる。
(「テスト範囲である」としても「興味がない」から「聞かない」子もいる。)

 

全国的に学校が休校になって、しかもなるべく外出を控えるように!
と言われている今、小学生(中・高生)は何をして毎日過ごしているだろうか。
宿題をやるのも、もちろんいいことだと思う。
でも、学校がある時は、半ば強制的に、
あまり興味のないことも学習させられていたはずだが、
学校が無くなってしまうと、決められたことか、自分の好きなことしか、
やらなくなる可能性が出てくる。
先に述べたような「差」がいつも以上に広がってしまう。

ゲームやyoutubeを全部ダメだとは言わないし、
(受験を終えて)スマホに夢中になってしまうのもわからなくはない。
だけど、こういう時こそ格差は広がってしまう。

勉強漬けになれ!とも言わないし、普段はできないような
何か特別なことをしなさい!と、強調したいわけでもない。
でも、買ったっきりで読んでいなかった本を読んでみるとか、
今日は新聞を隅から隅まで読んでみるとか、
夜ベランダに出て星空を見上げてみるとか、
夕食の準備をしているお母さんのお手伝いをしてみるとか、
本当に些細なことでもやってみると、新たな発見があるかもしれない。