1期生 Bさん

新6年としての勉強が始まった直後、とある外的要因で予期せぬ選択を迫られ、貴塾へ通うことを決めたのはひとえに江角先生の熱意と、子ども自身の先生に対する信頼感でした。

以前の面談で普段の子どもの様子を伺い、なるほど…と思うところと、意外!と驚かされること両面が多々あり、単に勉強面の出来・不出来にとどまらず、取り組み方や性格、クラスの友だちとの関係性まで、本当に「(子どもを)よく見て理解してくださっている」という信頼があったことに尽きます。

受験を通じて、親として(時に人として)どうするかと深く考えさせられる場面が何度もありました。「親としてなら」の思いと、「もし自分が子どもの立場だったら」という思いの葛藤もありましたし、「高望みしなくてもよい」と思うときもあれば、だらだらしている子どもを見ると、「もっと欲を出して、頑張ればよいのに」と思ったり、わたし自身がその間でずっと迷い続けていました。

もともと、どうしても私立とか、できるだけ上位校へ、と思っていたわけでなく、具体的には変われど、それは入塾から志望校決定に至るまで続いていました。今になって思い返せば、受験をさせること、塾に通って勉強ばかりになってしまうことに対して、親として子どもに責任をとれる自信がなかったせいかと感じています。幸い?子どもはコツコツと勉強するタイプでもなく、宿題もぎりぎりまでやらず、周りのことも気にせずマイペースでやってきていたので、わたし自身の罪悪感は想像よりもはるかに少なく済みましたが・・。

ただ、どこかで「受験すると決めたからには、短期間でも集中して必死にがんばってほしい」「時には挫折や思い通りにならない状況も体験して乗り越える経験をしてほしい」と思っていたことも事実で、どこの学校に入学するのであれ、短期間でも「しゃにむにがんばった結果」であってほしいとは思っていました(←結果として、最後の3週間は本当にがんばったと思います)。

結局、本人の思いは変わらず(これもあまり強い意志というように当時は感じられませんでしたが)、江角先生の強い『説得』もあり、わたし自身も子どもを信じて(そして、江角先生からのサポートする旨の言葉を信じて)第一志望校を決めることができました。

日々の勉強に対してはすべて塾の先生方に託し、本人が自分で管理したいという言葉を尊重(実際のところ、反抗期が何度か重なり、殆ど口出しできなかったという状況もありました)することにしており、子どもとの受験においてのテーマは「どう向き合って臨むか」だったように思います。

江角先生との面談においても、迷いを抱え、子どものことは決断できない親のフォローの時間としていただき、本当にご面倒をおかげしました。

今となっては、「この結果でなかったとき」のことを想像しにくいというのが正直なところですが、2月1日子どもといっしょに開門を待つ列で、快晴の空を見上げたときには、ほんとうに清々しい気持ちでした。この日をこのような気持ちで迎えられて心からよかった、と思っていました。きっと子ども自身もいろいろな思いを乗り越えて、思いのほかリラックスして臨めたのも「やりきった感」があり、そのような気持ちに親子ともどもなれたのは、貴塾に通えたからこそだと思います。ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。

これからも折ごとに遊びに伺うことと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。また、輝ける一期生のひとりとして、末永く東戸塚より見守っていただきたく、重ねてお願いいたします。

末筆になりましたが、貴塾の今後さらなるご発展を心から祈っております。

※こちらは私信です。

「体験記」となっているのかどうかわからず、ましてや、今後受験を迎える親御さんの参考には程遠く…かと思いますが、送らせていただきます。

 

先日、書店で某雑誌をちらっと見た折、「中学受験の不合格例」として書かれていた文章の、大部分が自分にあてはまることだと思い、ひやっとしました。それは体験記にも書いた通り、なるべく上位校をめざさなくてもよい、と言いながら、そのくせ模試の結果が悪いと不機嫌になる、という矛盾した思いを持つ母親の、「中途半端」な姿をあれこれ書いた記事でした。

ひとえに江角先生をはじめとする先生方のご指導のおかげでそうならずに済み、また本人の頑固さにも救われたのかもしれないと、心底ほっとしながら本を置きました。