子供の頃、しかも、小学校に入るか入らないかくらいの頃って、
パパやママ、あるいは先生やお友達が喋っていても関係なく、
そこに被せる形で自分の話をする子って、たくさんいると思う。
思いついたことを喋りたくて我慢できないのもあると思うし、
自分も話の輪に加わりたい!自分の話も聞いてほしい!という気持ちもあるのだと思う。
また、人が喋っていたら、そこでは聞くのがマナーだということも知らないだろうし、
仮に我慢しようとしたら、喋りたかったことを忘れてしまって、
モヤモヤした経験があるからってこともあるだろう。
だから、小さい子が人の話に割り込んで話をしたとしても、
それに対して、大人が腹を立てることはない(と思う)。
だが、いつまでもそのままではよろしくない。少なくとも、
話を聞かない(聞く気がない)までも、静かにしていないといけない状況で、
自分が喋りたかったら好きなように喋っていいと(大きくなっても)思っているのは、
だいぶ身勝手が過ぎる。(映画や舞台での観客マナーも最近話題になりましたね。)
さて、そんなわけで、
例えば授業中、先生が説明しているときに、自分の話をし始めてしまう子は、
自分の知っていることを披露したい!自分がわかっていることを話して褒められたい!
と、そんな気持ちになるのだろうが、やはりよろしくない。
先生の話に被せる形で、誰かが突然喋り始めた場合、
静かに集中して話を聞こうとしても、先生の話は、当然聞き取りにくくなる。
推しのミュージシャンのコンサートに行ったときに、
後ろの席のお客さんが、ミュージシャンと一緒になって全力で歌っていたとしたら・・・
高いお金を払って、誰だか知らないあんたの歌を聞きに来たわけじゃないんだ!
と思うはずだ。
また、喋り出した当の本人だって、話す方に夢中で、
先生の説明は聞き取りにくくなるはずだ。
自分のすでに知っていることを披露しても、それで成長することはないと思う。
むしろ、説明(新しい知識)を聞き逃して、成長するチャンスを逃す可能性が高い。
説明の導入部分では、自分がすでに知っている話のようだと感じられたとしても、
「知らないことが途中で出てくるかもしれない」、そういう謙虚な姿勢でいた方がいい。
話を聞けるというのは、それ自体、とても価値のある能力だと思う。
一見賢そうな人や、自分で自分のことを賢いと思っていそうな人の中にも、
話を聞くのが上手でない人はいる。
話の途中で、「もうわかった」あるいは、「聞く価値が無さそうだ」と決めつけて、
実のところ、ちゃんとわかっていない人がいる。
そういう人にならないためにも、聞く能力を高めておいた方がいい。
学年が上がると、段々と何を説明するにも、簡潔にできることは減ってくる。
説明は、複雑になり抽象的になり、そして長くなってくる。
だから、ただ聞くだけでなく、その長さに耐えうる力も必要である。
話が長いと、前半に話されたことを最後まで記憶しておく必要があるし、
そして、その(前半の話の)内容に対して、
自分が疑問に思ったことや、考えたことも記憶しておかなければならない。
聞く力は、ただ聞いていればいいというわけではないから、
その気になって鍛えておかないといけないのである。