3年生の授業は、後半戦に入りました。

今受験を振り返って

中学受験が一段落してから早ひと月が経過した。
新学年生の授業も始まり、新たな一年はスタートしたのだが、
反面「6期生」との教室でのやり取りも残りわずかだと思うと、
物寂しさと切なさが頭をもたげてくる。

こんな思いはつゆ知らず、「6期生」たちは例年同様「小動物」と化し、
英語の準備講座後の教室を席捲している。
ホッとしたのだろうな、と大目に見つつも、
数か月後にはやって来る新たな「荒波」を泳ぎ切る
「心の準備」も進めなければならない。
この時期は「頭の切り替え」の季節でもある。

「6期生」全員が、新たな環境に適応し、
自己実現の礎を中学高校生活の中で築いていってほしい…と願いつつも、
しばらくは「小動物」状態は続く…嗚呼。

サーパスでの「6期生」との思い出を辿ってみると、
「真剣」な表情は案外浮かんでこない。
当然、真面目に受験勉強をしてきたのだから「真剣」だったのだろうが、
思い浮かぶのはなぜか「ニコニコ顔」なのだ。
カズオ・イシグロ風に言えば「記憶のあいまいさ」なのか?
たった1〜2年前のことまで既に忘却の領域に入ってしまったとも思えないので、
やはり「ニコニコ顔」が確かな記憶なのだろう。

ストイックに勉強している子もいたのだが、
教室のあちらこちらで楽天的な花が、
数多く咲き誇っていたようなイメージが勝っている。
成長の足音が聞こえだしたのも大分受験が差し迫ってからだったような気もする。

気のよい学年であった反面、「真剣」という言葉の種を
発芽させ切れないまま巣立たせてしまう点については
大いなる反省点を残してしまった…嗚呼。

しかしながら、この「6期生」の「ニコニコ顔」は、
不真面目という意味ではない。
私の記憶している「ニコニコ顔」は、
「なるほど〜!そういうことかぁ!」という「納得の笑み」である。
かつての卒業生たちも、我々の説明に対して折々に合いの手を挟んできたのだが、
なぜ「6期生」はとりわけ「ニコニコ顔」が思い起こされるのか?
それは、「純粋」な心の持ち主が多かったからかもしれない。

授業で花開く笑顔は百花繚乱、一人ひとり違う顔を持っていたのであるが、
その根にあるのは、「ピュアな吸引力」だったように思われる。
吸引力は「素直さ」と言い換えてよいかもしれない。
教師の説明を聞ける「素直さ」が「理解」を生み、喜びとなる。
学習において「わかる喜び」は大事である。
「喜び」は「自信」となり、さらなる「向上心」を生み出すからだ。

私は「6期生」の「ニコニコ顔」を、
好奇心旺盛なプラス思考の発露と思っている。
卒業後も、いつまでもその「ニコニコ顔」を絶やさず、
「なるほど〜!そういうことかぁ!」
といつまでも口ずさんでほしいと心から願う。

今、「6期生」の顔を一人ひとり思い浮かべながら、
「サナギのカラ」を同時に思い描いている。
受験生が飛翔したあと我々には「カラ」だけが残される。
残された我々は、飛び立った可憐な蝶が巣立ったあと、
「カラ」を見つめ、過去に思いを馳せながら、
生徒の成長の記憶を再構築していく。
「サナギのカラ」という残像を想起しながら
生徒の成長を願い続けるのが教師なのだな、
と毎度のことながらこの季節に実感させられる。

最後に…みんなと出会えて本当に良かった!感謝!
サーパスを最後まで支えて頂いた「6期生」の親御さん、
心より感謝申し上げます。