先生、水!

子ども「のどかわいた!」
先生「で?」
子ども「水!」
先生「水がどうしたの?」
子ども「飲んでいい?」
先生「どうぞ!」
子ども「コップがない!」
先生「それで?」
子ども「ください!」
先生「何を?」
子ども「紙コップ!」
先生「…」
子ども「あぁ、おっくう!」「紙コップをください!」
先生「はい、どうぞ。」

めんどくさい会話だなぁ。と、思われたことでしょう。
本当は一言目で何を言いたいか、予想がついています。
意図を汲んであげることはできます。

塾でこうなのですから、きっと塾以外でもこんな感じかなぁと推測します。
ここで欲しているものを察して、紙コップを差し出してあげると、
その場ではとっても親切なわけですが、長い目で見たときに、
こういう会話になる子って、全員とは言いませんが、国語が苦手です。
主語と述語や、修飾語と被修飾語の関係を
きちんとおさえた記述を書ける子が少ないです。

そして、国語云々の前に、
自分がわかっていることを、他人もわかって当たり前と思うような子が多いです。
極論かもしれませんが、
自分(の考え方)が普通で、そうではない人を変だ、KYだ!(もう死語?!)
と、思うようになるかもしれません。

自分が知っていることを相手はしらないかもしれない。
自分とは考え方や立場が違うかもしれない。
そういう前提に立って初めて、
相手の立場で物事を捉えるって難しいってわかるのかもしれません。

だから、「なんでわかってくれないの?!」「意地悪!」と、逆ギレされても、
「のどがかわいたので水を飲みたいのですが、
コップがないので紙コップをもらえませんか?」
と、言えるようになって欲しいと思っています。