5期生との思い出

今年は違っていた。

「小動物」と呼ぶにふさわしい子供たちの

とろけた表情やふやけたようなしぐさが教室中に蔓延し、

受験から解放されて(というより「野に放たれて」)

悦に浸っているのが例年のこの時期である。

当然のことながら、毎年恒例の「新中一準備講座」で実施する単語テストでは、

見るも無残な結果からスタートする生徒が多い。

そして受験生の夢物語は徐々に雲散霧消していくことになる。

ところが、今年の卒業生、つまり5期生はこの慣例を打ち破った。

何と、初回の単語テストで全員が「合格」したのだ。

予想を覆す頑張りを見せた5期生。

驚きを隠せない我々。

テストを返却しながら一人ひとりの顔を見る。

成長したんだなあ…

5期生とは3年生の時からの付き合いだった。

申年が中心の学年。

当初は干支を地でいく子供たちが多かった。

「みんないずれ受験するんだよ!勉強しなくてはいけないんだよ!」

という我々の心の防波堤は、何度も5期生から返される大波に

もろくも打ち砕かれてきた。

しかしながら、5期生は着実に変化を遂げていった。

当然のことながら一斉にではない。

一人、また一人と順に追いながら、

受験意識の高まりが伝播していったように思われた。

5期生の変化の過程に寄り添うことを通して改めて気づかされたこと、

それは、子どもの学力を伸ばすには

何よりもまず我々大人の側の意識の持ちようが肝要なのだということである。

「シビレエイは自らがしびれているからこそ、

他の生き物をしびれさせることができる」

との言葉がある。

まずは我々教師が子供の潜在力を信じ、子供の成長に合った言葉を選び、

共に考え勉強し抜いた上で子供と格闘すれば

必ず学力は伸びるのだということを今年はとりわけ実感させられた。

5期生には勉強「させられた」と思っている。

本当に感謝している。

英語の授業はあと4回。教えるのは残りわずかだが、

もう少しだけ私の「教師」としてお付き合い願いたいと思う。

当然のことながら、英語は徹底的にシゴキマスガ。

追記

1月25日の受験前最後の授業の日。

教職員一同で催した激励会の際、受験生に以下の「お話」を創って手渡した。

5期生にはどのように受け止めてもらえたかは定かではないが、

受験を通じて何か感じ取っていただいていれば幸いである。

一本道広い広い草原の一本道を、

19人の少年少女が歩いていた。

なぜだか知らないが、彼らはお互いの姿が見えないらしい。

声は聞こえるが、草原の道には自分一人しか見当たらない。

ふと、ある子の声が聞こえた。

「ほら、この道の先に高い壁があるよ。なんて高いのだろう。」

すると、もう一人の子がささやいた。

「私にはそんなに高くは見えないのだけれど…。」

中には、こんな声も混ざっていた。

「どこに壁なんてあるの?全く見えないのだけれど…。」

他の子たちも、壁のことで何やかやとつぶやいていた。

そんな中、一人の子が後ろを振り返った。

今来た道は消え去り、そこは緑のじゅうたんで埋め尽くされていた。

どうやら後戻りはできないらしい。

広い広い草原の一本道を、

19人の少年少女はひたすら前に進むしかなかった。

お互いに見える風景は異なるけれど、

各々の、「その一歩先へ」と…

この物語はここでおしまいとなる。

なぜなら、この物語の続きは19人のそれぞれが物語るものだから。

壁とは何?一本道?緑のじゅうたん?

その解答をもはや伝えることはできない。

なぜなら、この物語は私の手を離れ、独り歩きを始めてしまったから。

19人のそれぞれが目指すゴールに向かって歩む道、それが新たな物語となる。

まもなく新たな1ページが始まろうとしている。