信じるものは救われる!とまでは言わないけれど

2月5日、サーパスのブログにも二度ほど登場した昔の教え子から、
娘さんが無事に合格したという連絡を受け取った。
度々「国語が…」と相談を受けていたので、
「もしもの時は家庭教師としてアドバイスしに行くよ!」とは言っていたのだが、
入試が近づくにつれて入れ込んでしまう僕の性格を知っているからか、
「そんな時間取れないでしょ!」と、とうとう声はかからなかった。

しかし来られないまでも、せめてアドバイスはないか?ということだったので、
国語の勉強法と、その時の親のサポートの仕方だけは伝えておいた。

詳細は個人的かつ長くなりすぎるので割愛するが、
簡単に言えば、「とにもかくにも音読」と、まぁそういう話である。

何度かこのブログでも(サーパスにお通いの方には父母会や面談でも)
お伝えしている音読の必要性であるが、
実際、冬からは親子で頑張ったそうである。

「夏まではヘソ曲げてやったりやらなかったりだったのに、
冬からちゃんと始めたら、直前に選択問題の正答率がぐっと上がった。」
という報告を受けた。

冬からの音読で効果がそこまで出るとは、想像以上のことだったが、
本人が「やらなきゃ!」「これを続ければできるようになる!」
という意識になったことが、大きかったのではないかと思う。

そして、お母さんが僕を信じてくれていたことも大きかった。
変な話、通っている塾によっても、教わっている先生によっても、
アドバイスはきっと違う。

会社に入ったって、そんなことは日常茶飯事だろうし、
プロスポーツの世界だって、監督・コーチによって全然違うんだと思う。
上司によって言うことが違う。年度によって会社の方針が違う。
大人ならきっと一度や二度は経験していることであろう。

でも、その指示を受け入れて、信じて遂行する素直さや、
そもそもその指示を信じ切る強さみたいなものが持てるかどうかで差が出る。

もちろんこれは受け手だけの問題ではない。
信頼できない人の指示を、信じて遂行するのは難しい。
だけど逆に、じゃぁ心から信頼できる人とそんなにいつも出会えるかというと
これもまた難しいと思う。
いや、むしろ出会えないことの方が多いんじゃなかろうか。

だから、100%の信用はおけなかったとしても、
どこかのタイミングで、信じてみよう!と決めるしかないんじゃないかと思う。
そうしないと、大人になっても
「信じられるのは自分だけ」
になってしまうんじゃないだろうか。

人を信じて頼れるようになった方が、楽だと思うし、時に強いと思う。