明日の過去問

テストの結果が悪かった我が子を怒ってしまうのはなぜでしょう?

結果が悪くて怒っているのではなくて、それまでの努力が足りていなかったから?

それなら怒っても仕方ないかもしれませんね。

努力の必要性を伝えるために怒ったのなら、それは『怒った』のではなく、

むしろ『叱った』というべきでしょう。

子どもも、努力不足を叱ってくれたことに、いつの日か感謝できると思います。

何か(点数ではない)約束をしたのに、それを守っていなかった場合も、

叱っていいと思います。

約束を守れた場合にご褒美!なんてことにしていると、

守れなくても、ただご褒美がないだけで、すましている場合がありますが、

約束を守らなかったことを、なぁなぁにしていると、

約束は守らなくてもいいものと学習する子が出てきます。

上のように、叱ってもいい場合はあると思います。

でももし、こんな理由なら…

(悪い点数を見たら)

気が狂いそうになるから?

焦ってしまうから?

態度にイライラするから?

恥ずかしいから?

かけたお金が無駄に思えるから?

お父さんやお母さんが恐かったら、顔色をうかがいながら、

イヤイヤでも勉強すると思いますが、それではその勉強は身につきません。

しかも、顔色ばかりうかがって行動する子に、

自主性など到底芽生えるはずはないのです。

伸びる子は、できるようになりたい!合格したい!という気持ちが強いものです。

ポジティブなモチベーションです。

しかし、取った点数で怒られていると、怒られたくない方ばかりに意識が向くので、

ともすると、どう乗り切るか、どうごまかすか、ばかりになってしまいます。

宿題の答えを写す。テストでカンニングする。などなど。

こんなことをしたら、ますますご両親はお怒りになるでしょうが、

ここまで追い込まれた子が、正常に戻るのはなかなか困難です。

きっと、親御さんのいないところでは、何もしないでボォっと過ごすのが

一番の楽しみとなってしまっていることでしょう。

やるべきことをさぼっていて点数が悪いのなら、

やるべきことをやりなさい!ということになるのですが、

やっているのに点数が取れない場合、

本人も本人なりに、悩み苦しんでいるはずです。

やり方が悪いのか。やる時の意識(気持ち)が低いのか。

もっと根本的なところからわかっていないのか。

気ばかり焦って、空回りしているのか。

子どもではその理由がわからないのに、大人が頭ごなしに怒っていたら、

子どもは八方ふさがりです。

いまいち本気に見えない態度になるのだって、全く理由がないわけではないのです。

相手が我が子だからこそ難しいのはわかっています。

しかし、怒って良いことがあるなら怒って欲しいですが、

怒って事態が好転することはあまりありません。

明日は過去問ですが、是非是非、点数で怒らないで欲しいと思います。