不登校(後編)

ここまで堂々と(?) 不登校の原因が家庭にあると言及した本は

過去にないように思う。

この本の中にも書かれていたが、

今どきどの学校にもスクールカウンセラーはいる。

しかし、その生徒にせよ親にせよ、学校に来てくれれば話は聞けるが、

学校に来てもらえなかったら力にはなかなかなれない。

またもし原因が家庭にあるなら、学校に来たところで解決にはならない。

それでも学校側が「不登校の原因は家庭にある」などとは言えるわけもない。

著者の瀬尾大さんは、不登校になる原因を大きく6つに分けて説明されているが、

そのうちの半分は、親が良かれと思ってやったことが

逆効果につながるケースである。一部を紹介したい。

「親が子供に、なんのストレス経験も与えない。

ストレスから隔離した全くの無菌状態で育てようとする。

だから、子供にはストレスに対する耐性が身につかないわけです。

そして、そのまま学校という、いわば菌だらけの環境に出ていくことになり、

案の定、適応できずに不登校になってしまうというケースが後を絶ちません。」

また、キツイことを言いつつも、

その原因を親だけに問うのは酷でもあるとも述べている。

「子供の不登校や社会不適応の原因は親にある。確かにそれは事実です。

ただ、だからといって親ばかりを責めるのも、

それはそれで気の毒な部分もあるでしょう。

(中略)

私が考える社会環境の問題点のひとつに、

地域コミュニティの崩壊が挙げられます。いわゆるご近所付き合いのことです。

かつて、ご近所さんはひとつの家族という時代がありました。

人々はお互いに助け合い、見守り合いながら生活していました。

(中略)

うちの子も余所の子も、みんな地域の子供。両親だけでなく、

近所のおじちゃんやおばちゃんをはじめ、

地域社会全体で子供を育てていました。

そういう仕組みのなかにいることによって、子供はもちろん、

親も親として成長していったのです。」

僕自身は(瀬尾さんのように)親も親として成長しないと!

と思っているわけではないが、

地域社会全体で子供(もっと言えば人)を育てることには意味があると思う。

別の言い方をすれば、コミュニティの中に

役割分担というものがあった方がいいように思う。

もちろん全く信用できない人に人生を何%か預けるとなると

不安で怖くて仕方がないだろうが、

逆に100%信用できる人もなかなかいないことを考えれば、

ある程度信じられる人のことは、

どこかできっと覚悟を決めて信じてみるしかないのだと思う。

どんなに優秀な人だったとしても、

自分一人で全てのことをできるほど人間は完璧ではないし、

体は一つしかないのだからできることに限りはある。

家庭教師として指導していた子のお父さんに、

「問題を解くことや教えることは私にもできるけれど、

親では言えないことや、言っても聞かないことはある。

それを代わりに言ってもらってありがたいです。」

と言われたことがある。

このお父さんは温かくて頭のキレる人だったが、

それだけ素敵なお父さんから、こういった役割を信じて任せていただけたことを、

当時嬉しく思いやりがいと感じた。

そういう関係の築ける塾であれたらと思う。