肉屋か音楽家か

僕が中学、高校時代に入っていた部活は音楽部である。

隣には管弦学部という人数の多いオーケストラの部活があったが、

それとは違って、主に合唱と室内楽をやる部活だった。

小学生の時はずっとピアノを習っていたが、

音楽部ではそれ以外に楽器を何かしらやる必要があったので

チェロをやることにした。

ちょうどこの時期、僕は生まれて初めて自分のお金でCDを買った。

それがドヴォルザーク作曲のチェロ協奏曲である。

チェリストはロストロポーヴィッチで、

このCDを聴いて後、僕はすっかりロストロポーヴィッチのファンになったくらいに、

大きな衝撃を受けた曲だった。

とまぁ、僕の話はどうでもいい(笑)。作曲家ドヴォルザークの話をしよう。

ドヴォルザークは、プラハ(チェコの首都)から北に30キロ離れた小さな村で

宿屋と肉屋を営んでいた貧しい家の14人兄妹の長男に生まれた。

父と伯父がその地域で名の知れた演奏家でもあったからか、

ドヴォルザークはキラリと光る音楽の才能を幼い頃から見せていたようだ。

しかし父親は、長男であったドヴォルザークには

肉屋を継がせるつもりであったため、小学校をやめさせ、

肉屋の修業に行かせる。

ところが面白いもので、行った先の職業専門学校の校長リーマンは、

ドイツ語を教える(当時、肉屋になるにはドイツ語が必要であった)だけでなく、

彼自身が音楽に精通していたため、

楽器の演奏や音楽理論の基礎もドヴォルザークに教えた。

数年後、家庭の経済状況が悪化したので、

両親はドヴォルザークに音楽をやめさせ肉屋を手伝わせようとした。

しかしこれにリーマンと伯父が反対し、両親を強く説得したことで、

彼の音楽家としての道は断たれずに済んだということである。

世に出るべき才能は、必然的に見出されるということなのか、

それとも優れた才能があっても、見出してもらえなければ埋もれてしまうのか、

そこのところはわからない。

ただ、もしドヴォルザークが肉屋を継いでいたら…と思うと不思議でならない。

(もちろん肉屋になることが悪いわけではないが)

ドヴォルザークは、この後にもブラームスという音楽家に見出されたことで、

ますます活動の場を広げていく。

必然なのか偶然なのか、何とも不思議で、面白い。