ちょっとした物語 (第4話)

「今年もあと○○日を残すのみ」

といった定型文が似つかわしい年の瀬となりました。

「本年はひとかたならぬご愛顧にあずかり、ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。」

このような「定型文」というのはまことに有難いものだと思いませんか?

もし、年賀状に「明けましておめでとうございます」や

「謹賀新年」、「賀正」といった決まり文句がなかったならば、

私たちはこの慌ただしい年末に、オリジナリティを求めて

どれだけ精力を傾けねばならなくなるでしょう。

まったく持ってごめん被りたい、

こんな感じを無精の私なぞついツイットしてしまいます。

年賀状に限らず、生活一般において「型」というのは、

実に合理的、つまり便利に作られ、しかも、時として

そこに「美」をも包含(ほうがん)していたりします。

能楽や和歌、俳句などは形式美の最たるものでしょう。

年末年始に、「一首」歌詠みし、形式美に浸るくらいの余裕を持ちたいものですが、

私たちにとってはまさに受験を目前に控えた臨戦態勢。

この時期に余裕を持ちたいなぞ口に出そうものなら

「この一件で君も『形なし』だね。」とダメ出しされるのがおちでしょう(笑)

どうやら心の平安はゴールデンウィークまでお預けとなりそうです。

さて、この一連の「物語」めいた「ちょっとした話」を年末年始の受験期に

忙殺されている生徒たちを横目に綴り続けることにはやや気がとがめられます。

「どうせまだ構想が練られていないのでしょう!?」ですって?

賢明な読者の皆様、ずばり核心をおつきになりますね。

確かにそうかもしれません。

しかし、繰り返しますが今はこれ以上書き続けるわけにはいかないのです。

この心中をお察しいただければ光栄でございます。

構想とは到底呼べる代物(しろもの)ではありませんが、

箇条書き程度に今後の物語の展開を羅列しておきます。

物語は「生き物」である以上、書きながら大幅な変更があることは

大いに予想されます。

しかも、8人の子供たちやルライ氏、馬車の男が

私に内容の削除をせまってくる可能性もあります。

私はルライ氏の威嚇(いかく)をもっとも恐れています。

では時間が来たようです。

Festina lente!(ゆっくり急げ!)《ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス》

1、「ルライ」氏の告白

2、なぜ「おきて」はやぶられた

3、流浪する8人の子どもたち

4、馬車の男の提案

5、なぜ「たつ巻」は起こった

6、巨人村の「鉄」のゆくえ

7、聖なるララットの緑の正体

8、「ルライ」氏と馬車の男

9、「鼻の」高原と2つの村の地形を改めて考えてみると…

10、終わりのない泥仕合

11、「ルライ」家と長老たち

12、何のための泥仕合か?

13、エピローグ;「顔」が世界を包みこむとき