ちょっとした物語

むかしむかし、とはいっても

みさなんのおじいさんやおばあさんがヨチヨチ歩きを始めたころ、

たいそう変わった人たちの住んでいる村がありました。

その村では、他の村と同じように作物をそだて、家畜を飼い、

祭りで笑いころげ、身内の死にはなみだを流しました。

ただ、1つだけちがっていたこと、それはこの村の「おきて」です。

どんな村にも「おきて」はあるものですが、

この村の「おきて」だけは飛び抜けて風変わりだったのです。

さてどんな「おきて」かと申しますと、

それは…「身長が100cmをこえてはならない」というものでした。

もし、生まれてからこの世を去るまでに一度でも身長が100cmをこえてしまったら、

その村人はこの村から出て行かねばならないというのです。

みなさん、こんな理不尽な「おきて」をどうお考えですか?

現実世界において『ブリキの太鼓』のオスカルのようにはいくはずがありませんよね。

それに、村人の中には「おきて」に対する反対勢力が生まれてしかるべきです。

ところが、不思議なことにこの村には、この「おきて」に反抗する輩は

ただのひとりもいませんでした。

もう一度くりかえします。ひ・と・り・も・です。

では村人たちはどうやって、しかもなぜ「おきて」を守るのでしょう?

ヒントが1つだけあります。

この話を読んでいる皆さんだけにこっそりと耳打ちしましょう。

それは、この村に住んでいる「だけ」で、

何かしら努力しなくても身長が100cmをこえなかったという歴史的事実です。

住んでいる「だけ」で身長が伸びない?

そんなことがこの地球上にあったためしがあるものか、

とおっしゃるのはよーくわかります。

でも、仕方がありません。世にも不思議なことはざらにあるのです。

信じられないのは

「きんだいごーりしゅぎ(漢字では『近代合理主義』と書きます)」を

あがめたてまつっている方々の

「こゆうのきはん(漢字では『固有の規範』と書きます)」に

心も頭もしばられてしまっているのでしょう。

さて、村人たちはこの「おきて」が

なぜこの村の「おきて」として記されているのか全く理解できませんでした。

それもそのはずです。

村びと全員が100cmをこえていないのに、

「こえてはならない」という罰則は不必要に思われて当然でしょう。

「おきて」としてある以上、

そのむかし誰かがその「おきて」を破ってしまうかなにかしらの理由があるはずですが、

村のことなら何でも知っている長老たちは、

このことについて何も語ろうとはしないのです。

ついにはこの「おきて」は死文となり、村人は「おきて」を守るといるより、

そんな文書があることすら「忘れて」しまいました。

さて、ここでおとなりの村についても軽く触れておかなければなりません。

おとなりの村、そこにはこれもまた不思議なことに、

2m以下の村びとがひとりも住んでいませんでした。

まさに「巨人」村とよぶべきでしょうか。

村びと全員が2m以上ですから、住宅も公園も学校もすべてが大きくつくられ、

なぜかこの村で育つ作物まで

私たちの想像をはるかにこえた大きさに成長するのでした。

「巨人」村の人々も、当然のことながら自分たちのサイズがあたり前だと

信じていたのです。

今風に言えば、グローバル・スタンダードってやつです。

彼らは商売を営み、大きな作物を売りさばくことで莫大なお金を手に入れ、

そのもうけでなぜか鉄ばかり買い込んでいました。

また、村を出ることが許されている商人は、

「ルライ」家の主だけでしたので、

他の商人たちは「ルライ」家を仲立ちにして売り買いしなければなりませんでした。

「ルライ」家は村人たちに決して損をさせたことがなかったので、

村人たちも安心して品物の取引をお願いし続けていました。

さらにここで皆さんにもう一つ大切な情報をお伝えしておかねばなりません。

それは、それぞれの「村」同士が接しておらず、

「村」と「村」との間には人の住まないやせこけた大地が広がっているということです。

ですから、「おとなり」と言っても村人同士の交流はほとんどなく、

ここで取り上げた2つの村に至っては、

なぜかまったく付き合いがありませんでした。

しかも、この2つの村のあいだには人間の鼻の形をした高原がどかんと腰をすえ、

双方の視界をさえぎってしまっています。

この高原のイメージがつきにくいようであれば、

片目をつぶって鼻先に焦点を合わせてみて下さい。

それが村から見た高原の姿です。

さらに、この高原は2つの村から特別視されていました。

身長が100cm以下の村では、一年中砂ぼこりを吹き降ろす「魔の山」として、

そして「巨人」村では神の住む「聖地」として

誰ひとり立ち入ることを許されませんでした。

ですから、高原の「向こう」などという発想は誰ひとり持ち合わせませんでした。

第一、そんなことを考える必要が全くなかったのでした。

そんな不思議な2つの隣り合った村に、とある珍事が発生しました。

その珍事は村人たちにとっては全く予期できない自然現象でした。

そして、その原因について、村の長老たちですら全く探り当てることができず、

村人たちはただただ頭をかかえるばかりでした。

この珍事ははじめ取るに足らない事件でした。

しかし、(皆さんには結論を先にお教えしましょう)

このことが「きっかけ」となって2つの村では、

絶えることのない泥仕合を繰り返すことになってしまいます。

それはそれは空恐ろしい泥仕合を…。

その「珍事」とはと申しますと…。