笑いの哲学

人間だれしも、笑っていたいものです。

あらゆる動物の中で、人間は「笑う」ことが出来る稀有な種族だといわれます。

(犬なども笑っているようですが、人間は表情筋が優れているので、人間だけの長所とのことです。)

人生なんのためにあるの?なんて聞かれたとしたら?

人それぞれ答えは違うでしょうが、その答えにはきっと「笑い」や「笑顔」が含まれることでしょう。

笑うことなんてが人生の目的なんて大袈裟だなと思うかもしれません。

しかし、笑いが起こる状況を考えてみると、的外れって訳でもないと思います。

 

1、友達と話しているとき。家族と話しているとき。

笑うときには、やはり人と接しているときが多いですよね。

2、テストで満点とったとき。おいしいものを食べたとき。

こんなときには思わずニヤリと笑ってしまっているんじゃないでしょうか?

自分の目標が達成されたときには、1人で思わず笑みがこぼれます。

3、この前のテレビが面白かった。新しいゲームをやっているとき。

おいおい、君達。受験するものとして、それは我慢しなければいけない笑いだよ。

娯楽から受ける「受け身の笑い」はうまく付き合っていきたい笑いの形です。

どうですか?こんな形で笑えている人生は、楽しい時間を過ごせていそうじゃないですか?

2や3だけの笑いになると、独りよがりなものになってしまいますので

1につなげるように「共有すること」ができると、もっと大きな幸せにつながると思います。

人と笑いは切っても切り離せません。

笑いが喜びにつながるのも、人がいてこそです。

 

 

ここまでは、笑いの持つ陽の面だけを見てきました。

ですが、笑いは同時に陰の面も持ち合わせているのです。

そして、陰の部分があることをしっかり認識していないと、

笑いが人を傷つける暴力になってしまいます。

次のケースの笑いはその一例です。

 

4、誰かが失敗したことを笑う。

5、自分だけがいい気分になって笑う。

 

このときの笑いはどうでしょうか。

笑っている本人は楽しいでしょうが、その相手は?

どちらも、自分が周囲より優位に立てているときに、

相手に向けた笑いが起きています。

このとき、笑いの凶暴性が顔を出します。

もちろん、相手と関係が築けていれば、

そのような凶暴なものにはなりにくいですが、

その関係の見極めはとても難しいものです。

「笑わせる」「笑われる」

似ているようで、全く違う笑い。

みんなで同じ方向を向いて笑ってますか?

それとも、特定の誰かに向けられた笑いですか?

その人は嫌がっていませんか?

ちょっと意識するだけで、笑いの持ついい部分だけを享受できると思います。

その大前提として、相手を思いやることが必要です。

どうか、これを忘れないでください。

中学受験という道には多くの苦難が待ち受けています。

受験をしなければ、遅くまで勉強することもなく、

楽しい日々を過ごしていたかもしれません。

それでも、この道を選んだのは、

きっとその先にある本当の笑いのためだと思います。

志望校に受かるということは、そのための手段にすぎません。

目的は人それぞれあるかと思いますが、ざっくりというと後悔しない人生、ってところでしょうか?

その目的のためにできることはただ一つ。

今、最善を尽くしましょう。

6年生はいよいよ、勝負の夏に入ります。

今まで苦手だから、と遠ざけていた単元を1つずつ克服して、

おおいに笑える夏を!